私が開院した理由

医師に治らないと言われた喘息(ぜんそく)

私は3歳の頃から小児喘息でした。 



毎日薬を飲み、発作が起きれば病院で吸入治療、

夜中に救急治療に行くことも度々ありました。
 


小学生になり、発作のたびに両親に夜中に救急病院に何度も連れて行って
もらうことを申し訳なく思うようになり、発作が起きても限界まで我慢していました。
 


2度の入院経験もあり、「あと数分来るのが遅かったら危なかった」
と言われたこともありました。



そこで、神奈川県立こども医療センターを紹介されました。
喘息の重症度を調べる検査をすることになったのです。

 

喘息とは一生付き合っていかなくてはいけないのか・・・

スポーツは好きだったのですが、激しい運動をすると発作が起きるし、
煙やほこりが多いと苦しいので、運動や花火も気を付けながら生活していました。

鶏肉や卵は発作を誘発する可能性があり止められており、誕生日や
遠足の日など何か特別な時にしか食べられません。

動物の毛もダメなのでペットを飼う事も出来ません。
 


精密検査の結果は「この病気はもう治らないから、もっと酷くならないよう
薬を飲んで予防していくしかない」
はっきりとそう言われました。

当時そう言われた時は小学校4年生。

子供ながらショックだったのを覚えています。


 

医者になりたかった

当時はたくさんの先生にお世話になり、入院したことがきっかけで医師になって、
自分も困っている人の力になりたいと思うようになりました。


その時は医師になるには医学部に入らなきゃいけないとただ漠然と
思っていたので、小学校6年生から塾に通い始めました。



中学生になり運動部に入りたかったのですが、身体が部活の練習に
ついていけるかまだ不安だったので断念しました。

塾の先生には私立高校も勧められましたが、公立高校への進学を希望して
茅ヶ崎北陵高校に進むことにしました。


 

医師になる夢は持ちつつも、父の仕事を理解し始める

私の父はカイロプラクティックの治療院をすでに開院していましたが、
中学生の私はまだカイロプラクティックがどのようなものなのか、
近くにいるのにいまいち理解出来ていませんでした。 


治療は何度も受けていたのですが、ただ触っているぐらいの刺激です。
具体的に何をしているのかも理解出来ません。


友達に父の仕事を聞かれても上手く説明出来なかったのを覚えています。

そして私が中学2年生の時に自宅を新築する際、1階が治療室になり
仕事風景を見る機会が増えた事でカイロプラクティックがとても身近になり、
その頃から徐々に理解できるようになりました。


 

ついに治らないと言われた喘息を克服

カイロプラクティックを受けていた甲斐もあって、喘息の発作は
高校生の頃にはほとんど無くなっていました。



病院の先生から『もう来なくて大丈夫だよ』と言われた時は
本当に嬉しかったですし、現在も一切薬は飲んでいません。
 

発作の恐怖から開放され、高校ではテニス部に入ることが出来ました。
犬と猫を飼いましたが、発作が起こることもありませんでした。

 

医師か、カイロプラクターか

高校後の進路決定の時期まで医師とカイロプラクター、
そのどちらを目指すか悩みましたが、その時思ったのです。
 

なぜ父はカイロプラクターで、私は喘息だったのだろうかと。

喘息を体験し、克服した私にしか出来ない事はないのか。

カイロプラクティックは手(カイロ=ギリシャ語で手の意味)を使って 自然治癒力を回復させ、自分で自分の身体を治療します。

たとえ同じテクニックを使ったとしても、自分とまったく
同じ治療は他の誰一人として出来ません。

これだと思いました。

 

自分の身体で体感した私の考える理想のヘルスケア

私は、自分と同じく病気で苦しむ人の力になりたいと思い医師を志しました。

手術や急性期の治療・応急処置は医師にしか出来ないのですが、
アレルギー体質を変えたり生活習慣病を根本から改善するのは
医師でなくても色々な代替医療でも出来ます。
 


今思うと喘息を克服出来たのも、高校に入ってから病院にお世話に

なる事がほんの数回しかなかったのも、小さい頃からカイロがそばにあり

カイロプラティックを受けていたからだと自分の身体で実感できています。

今はまず自分で治せる身体をつくりそれを維持する、
それでもダメな場合は病院で適切な治療を受ける。

それが理想のヘルスケアだと考えています。 


 

カイロプラクターへの道のり

残念ながら日本にはカイロや整体には国家資格がありません。



資格がないので、通信教育や数ヶ月の研修でも開業できてしまいます。
なんとも恐ろしい環境です。

しかし患者さんの身体を責任をもって治療する以上、まずは医療系の
国家資格を取得し基礎医学を学ぶことが最低限のマナーという
父の教えがあり、国家資格を取得する事にしました。

 

はり・きゅう師の国家資格取得



日本で開業権のある医療系国家資格は医師以外に3つあります。

・接骨院(整骨院)などを開業できる「柔道整復師」

・鍼灸院などを開業できる「鍼灸師」

・マッサージ院などを開業できる「あんまマッサージ指圧師」

・父は柔道整復師、按摩指圧マッサージ師
 
・私は鍼灸師
 
・弟は2人とも按摩指圧マッサージ師

の国家資格を取得しています。



私は東洋医学にも興味があったので、父が唯一持っていなかった
鍼灸の免許を取得する事にしました。

それからは一人前の治療師になる為の生活が始まりました。

月曜から土曜日は午前中は実家の治療院で修行、

夕方からは熱海にある鍼灸の専門学校へ行き、
日曜日はカイロプラクティックのセミナーへ。

同級生は大学生で休みも多くて羨ましいと思ったりもしましたが、
早く開業出来る技術を身につけたかったので乗り切れました。



この生活を3年間続け、無事鍼灸の国家資格を取得しました。

 

湘南カイロ茅ヶ崎治療室開院

私が所属しているカイロプラクティック協会であるPAAC
(パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会)では
一定の水準を保つ為に、基本的に国家資格を取得していない

と正会員になれないようになっていました。



無事国家資格を取得し、同時に正会員に昇格しました。



そして、2005年の7月に茅ヶ崎駅南口の駅前に
湘南カイロ茅ヶ崎治療室を開院しました。



翌年、所属しているカイロプラクティック協会の認定試験に
合格し、
PAAC認定カイロプラクターとなり、現在に至ります。



現在は協会でカイロプラクティックの講師を担当しています。



 

以前の私と同じように今辛い思いをしているあなたへ

喘息がつらかったあの頃、発作になりながら「なんで俺だけがこんな
辛い思いをしなきゃならないんだ!」と思った事が何度もありました。


・私が喘息だった事

・あの時病院に行くのが間に合って死なずにすんだ事

・父がカイロプラクターで自宅に治療室があった事

・喘息を克服できた事



もしもこのどれかが1つでも欠けていたら…

私は治療師になっていなかったと思います。
 


私はカイロプラクターになる為に生まれてきたのかもしれません。


自分で辛い体験をしたからこそ、自分にしか出来ない治療があります。

今はスポーツも出来て、好きな物も食べられます。
実家では犬や猫も飼っています。

健康であること自体が幸せですし、健康ならやりたい事が何でも出来ます。
一人でも多くの人にこの喜びを感じてもらえたら嬉しく思います。



その為に私は治療師になりました。

私の体験ではありますが読んで頂き有難うございました。


湘南カイロ茅ヶ崎治療室院長 高木 聖司

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